* * *
――夜。フェリシアは書斎にいた。
寝る前に大事な話があるとエルバートに言われ、ここまで一緒に来たけれど、
(明日のお勤めのことかしら…………)
「このソファーに座れ」
「は、はい」
フェリシアは命じられた通り、2人掛けのソファーの奥に座る。
するとエルバートは目の前に置かれたひとり掛けのオシャレなソファーではなく、なぜか自分の隣に座った。
「あ、あの、ご主人さま!?」
「隣で話す方が話しやすいからな」
(ご主人さまはそうかもしれないけれど…………)
動くと手が触れてしまう、そんな距離間に、
胸がドキドキしない訳もなく、直視出来ない。
「それで今から大事な話をするが」
「今朝、ルークス皇帝に呼び出された際、お前に一度会いたいとのことで、晩夏の2日前にお前を宮殿の皇帝の間まで連れてくるようにとルークス皇帝より直々に仰せつかった」
それを聞いた瞬間、フェリシアは変な声を出す。
「えぇ!?」
「えぇって……お前、そんなにルークス皇帝とお会いするのが嫌か?」
アルカディア皇国とは無縁だった自分が、
まさか、ルークス皇帝とお会いすることになるだなんて。
しかも、ブラン公爵邸を出ていくことになっている2日前に。
「い、いえ、そうではなく……とても驚いたのと、その、大変おこがましいと言いますか……」
「ルークス皇帝には皇帝に即位される前から長年仕えているが」
「優しく穏やかな雰囲気で、仲間や民を誰よりも大切に思うお人柄なゆえ、そんなに恐縮せずとも大丈夫だ」
(ご主人さまの大丈夫はほんとうに心強い)
「わ、分かりました」
「では、晩夏の2日前までに支度を整える」
* * *
フェリシアはルークス皇帝にお会いしても恥ずかしくないよう、
日々、立ち振る舞いや身だしなみ等に気を付け、当日の早朝。
フェリシアはベットの上で固まっていた。
どうしよう。
ルークス皇帝にお会いすると思うだけで緊張して、
全く眠れなかった。
それだけではなく、心臓がバクバクしている。
(こんな調子で大丈夫かしら…………)
いけない、弱気になっては。
これでは、エルバートの大丈夫を信じていないのと同じ。
「わたし、ご主人さまのことを信じているから大丈夫」
フェリシアは自分にそう言い聞かせ、ベットから起き上がった後、
いつも通り台所で朝ご飯の支度をし、
食事室でエルバートに朝ご飯をお出しして、自分の分も置き、向かいの椅子に座る。
いつも朝はエルバートがゆっくりできず、一緒に食べることはなかった。
けれど、今日は。
(ご主人さまと初めての朝ご飯…………)
そう思ったら、嬉しさと緊張で朝ご飯をなかなか食べることが出来ない。
するとエルバートが、ふっ、と笑う。
「ご、ご主人さま……?」
「いや、笑うつもりはなかったのだが、お前を見ていたらつい、和んでしまった」「こうやって朝ご飯を共にするのも悪くないな」そう言われ、フェリシアもまた、心が和んだ。このような感じでやがて朝ご飯を終えると、部屋でリリーシャにお化粧、そして髪を整えてもらい、そのままリリーシャと共に大広間へと移り、エルバートが美しい容姿の仕立て屋に頼み、新たに仕立ててもらった高貴なドレスに着替えさせてもらい、更に準備してくれていた耳飾りに花とショートベールが付いた帽子も被せられ、薄らとしか周りが見えなくなった。「フェリシア様、ルークス皇帝の執事のお迎えが参りました」「お開けしても宜しいでしょうか?」ラズールの声が廊下から聞こえ、はい、と許可を出すと、大広間の扉が開き、ラズールに手を添える形で玄関まで行く。すると髪を麻紐で一つにくくり、勲章がたくさん付いた高貴な軍服姿のエルバートが待っていた。この姿はもう何度も目にしているのに、今日のエルバートは帽子のショートベール越しに、これまでで一番美しく、凛々しいように見えた。エルバートはフェリシアに気づき、その姿を見て一瞬驚き、いつもの冷酷な顔にすぐさま戻す。「馬車まで付き添う」「あ、はい、ありがとうございます」お礼を言った後、今度はエルバートに手を添える形でルークス皇帝の執事の馬車まで歩いて行く。すると手が離れ、心細い気持ちになった。けれど、エルバートはそれを察したのか、頭を撫でるように帽子のショートベールの部分に優しくぽんと触れ、瞬く間にフェリシアの心が温かくなった。フェリシアはルークス皇帝の執事により馬車に乗せられ、エルバートはその間にディアムとそれぞれ自分の高貴な馬に乗り、ラズール、リリーシャ、クォーツが集まり、頭を下げた形で見送られ、エルバートとディアムに守られながら、フェリシアを乗せた馬車が御者を務めるルークス皇帝の執事の手に
宮殿内は豪華絢爛で、もっと圧倒され、すぐさま使用人達の注目の的となった。「あの方がエルバート様の胃袋をお掴みになられたフェリシア様?」「これからエルバート様と共にルークス皇帝とお会いなされるそうよ」「すごいわ。けれど、フェリシア様は今後エルバート様にご婚約を破棄され、エルバート様は正式にアマリリス嬢をお選びなられるとの噂よ」「そうなの? もし噂がほんとうならお気の毒ね」そんなコソコソ話を聞いても、圧倒されているせいか、さほど気にならず、やがて、執務室の前でルークス皇帝の側近が足を止め、フェリシア達も立ち止まった。「こちらが控え室となります」「控え室が執務室だと? 貴賓室の間違えではないか?」エルバートがルークス皇帝の側近に問いかける。「いつもおられる場所が落ち着くと思い、執務室と致しました。ルークス皇帝のご準備が整うまでこちらでしばらくお待ち下さい」ルークス皇帝の側近が執務室の扉を開け、ディアムは廊下で見張る為、フェリシアとエルバートのみ中に入る。するとメイドがワゴンで紅茶とお菓子を持って来て、テーブルに置き、出て行くと扉が閉まった。(ここがいつもご主人さまが執務をなされているお部屋……。書斎よりも広いわ)そう感激していると、エルバートがソファーに座る。「フェリシア、隣に座れ」フェリシアは声をかけられ、ハッとした。(つい、嬉しくて、ご主人さまを置き去りにしてしまっていたわ)「は、はい」フェリシアはエルバートの隣に座る。そして、エルバートと共に紅茶を一口飲む。(あ、美味しい……)少し気持ちが落ち着くと、廊下でディアムが誰かと話している声が聞こえ、扉が開く。優しそうな青年、明るく元気な青年、顔が整った青年が続けて入って来た。するとエルバートは嫌な顔をする。「ディアム、なぜ私に一言もなく開けた?」
「フェリシア、そしてエルバートよ、顔を上げよ」フェリシア達は跪きながら顔を上げる。(帽子のショートベール越しでは、よくルークス皇帝のお姿が見えないわ…………)「フェリシアよ、顔が良く見えん。帽子を取れ」フェリシアは命じられた通り、帽子を取る。すると、天蓋付きの玉座につくルークス皇帝の姿が鮮明に両目に映った。美しい紫髪に、エルバートが言っていた通り、優しく穏やかな雰囲気で、(まるで、神様のようだわ)「ほう、これは別嬪であるな」フェリシアは唖然とし、エルバートも驚く。(わたしが別嬪!? お世辞かしら…………)「フェリシアよ、会えて嬉しく思うぞ」「どうだ? ここは心地良いだろう?」そう言われて気づいたけれど、確かにとても気分が良く、体も軽くなっているような。「はい、とても心地が良いです」「ここは特別な結界で守られているからな」「そして今日、エルバートにここに連れて来させたのは、お前のことを知りたいと思ったからだ」「よって、フェリシアよ、我の元へ上がってまいれ」「か、かしこまりました」(わたしのようなものが、ほんとうに上がっても良いのかしら…………)フェリシアはそう思いつつもルークス皇帝に命じられた通り、玉座の踏段を上がっていく。するとルークス皇帝が玉座から立ち上がる。「右手の甲を差し出せ」「は、はい」フェリシアは右手の甲を差し出す。「少しの間、触れる」ルークス皇帝はそう言い、フェリシアの右手の甲に触れた。そしてルークス皇帝は納得すると、触れるのを止める。「エルバートよ、そのような顔をするな」(あれ……? ご主人さま、な
* * *「この度はご婚約の手紙をありがとうございます」大広間で頭を下げ跪いたまま、続けて、フェリシア・フローレンスにございます、と名乗ろうとした。けれど、名乗らせてはもらえず。「こちらを見ろ」命じられ、フェリシアは頭を上げる。しかし、ショートベールのせいで、椅子に座っているのが分かる程度で、薄らとしか、婚約の相手の顔が見れない。「顔を出せ」言われた通り、ショートベールを恐る恐る上げて後ろにめくる。婚約の相手は、魔除けの耳飾りにネックレスに、軍服を着た月のように美しい銀の長髪の、絶世の冷酷な美青年だった。「晩飯を作れ」「そして」「これからは私の事をご主人さまと呼べ」「かしこまりました」フェリシアは、ただただ一礼をする。一通の婚約の手紙が届いた先に待っていたのは、愛のない主従関係の婚約。けれど、尽そう。例え、一生、幸せは訪れないのだとしても。* * *パリーンッ!ブローチが嫌な音を立てて割れる。手狭な居間に座るフェリシアは編み紐により両手を後ろで縛られ抵抗できず、伯母にブローチを床に勢いよくぶつけて割られるのをただ目の前で見つめることしか出来なかった。フェリシアは床の割れて欠けた鮮やかなブルーのブローチを見て涙を流す。(両親の形見であるブローチ、守れなかった)「あなたみたいな出来損ないを外に出すだけで恥ずかしいっていうのに」「こんな収入しか稼げないだなんて!」「申し訳ありません」激怒する伯母にフェリシアは頭を下げ、謝ることしか出来なかった。此処(ここ)、異世界に存在するアルカディア皇国では魔を祓う力を持つ者が権力と地位を得て、国を魔から守っている。そして、最高地位の皇帝の座は前皇帝が魔に殺されて亡くなったため、現皇帝が若い年齢で継いでおり、アルカディア皇国に勤めが決まった者は命の危険に晒される時があるものの将来安泰。人々の憧れの皇国である。そんな皇国とは無縁の、小さな古びたボロ家に住むフェリシアは、今年で18歳。両親を3歳の時に魔に殺されて亡くし、父には身寄りがなかった為、母の姉にあたる伯母、ローゼ・フローレンスに引き取られ、2人で暮らしている。だが、伯母はロクでもない男と遊び歩き、働かない為、下級料理番としてお屋敷に雇われたフェリシアの収入だけが頼りで、貧乏な暮らしとなっている。それゆえ、
* * *ある日の夜のこと。フェリシアはあるお屋敷の台所で下級料理番として仕事をこなしていた。ピンクがかった長い黒髪は邪魔になるのでくくり、頭巾を付け、汚れたドレスを隠すよう、エプロンを腰に巻いている。料理を作る台所は天井が高く、煙を逃がす窓があり、壁に調理器具がかけられ、茶色の長机にはお皿に盛り付けられた色んな種類の豪華な料理が並べられている。そしてこの場にはシェフ、上級料理番が3人おり、下級料理番はフェリシアを含めて6人いて、忙しそうに働いている。その中でもフェリシアは長年務めていることにより、下級でも特別に一品だけ料理を任されていた。けれど、どの料理も綺麗な盛り付けで、下級の自分にはとても同じようには出来ない。それでも出来る限り、完成したビーフシチューをお皿に綺麗に盛り付け、そのお皿に白く美しい花を添える。(よし、今日もなんとか綺麗に出来たわ)そう、安堵すると、料理運びである着飾った女主人のイラついた罵声が飛んでくる。「何やってんだい、早くこっちの机に置きな」「お出しする前にビーフシチューが冷めちまうだろう」「はい、申し訳ありません」フェリシアは料理台から茶色の長机に完成したビーフシチューのお皿を置く。すると、女主人はブツブツ嫌味を言いながらもお盆にそのお皿を乗せ、他の豪華な料理と一緒に運び、台所から出ていく。そんな中、開いた扉から貴婦人達の声が聞こえてくる。「ねぇ、お聞きになりまして?」「エルバート様が花嫁を探していて、選ばれた家にはエルバート様の直筆の婚約の手紙が届くそうよ」「エルバート様って、今年で21歳になられるルークス・アルカディア皇帝に仕え、公爵家のお家柄で魔討伐の軍の中でも絶対的権力を持つ軍師長である、あの、エルバート・ブラン様!?」「えぇ、でもエルバート様は冷酷で愛のない人らしく、よほど気に入られない限り、すぐに婚約を破棄されるだろうとのご噂よ」「そんなご噂が。呪いの手紙なんて来て欲しくないわ」貴婦人達がそう零(こぼ)すのを聞いたフェリシアは、ふぅ、と息を吐く。(わたしには全く関係のない噂ね)* * *「ローゼ伯母さま、只今、戻りました」仕事を終えたフェリシアは、ボロ家の居間に座る伯母の後ろで跪き、いつも通り報告する。(今日も帰ってくるのが深夜になってしまった……。きっと罵声を飛ばされ
* * *翌日、フェリシアが乗った高級な馬車が揺れ動く。行き先はエルバートのところ。「可哀想に」周りから 憐(あわ)れみの言葉を投げかけられた。すぐに婚約を破棄され、捨てられると思っているのだろう。フェリシアはショートベールで顔を隠し、ドレスを着た姿が馬車の内窓に薄らと映り、それをただじっと見つめる。ショートベールはミサの為に持っていたもの。そしてこの透き通った美しいドレスは母が生前に自分の為に用意してくれていたものだと昨日、頭を下げた後に伯母から手渡された。母の想いにボロ部屋で一人、ドレスを眺め、号泣しそうになったけれど、嫁ぐというのに泣き顔を作ってはならないと、ぐっと堪え、そのまま一睡もできず、今もなお、涙を堪える。そして、両親が生きている時のことは朧(おぼろ)げだけれど、両親は愛のある結婚をし、自分は愛されていたのだという実感は今も残っている。だから、救いのない日々を送ってきた自分も、日々、働き、家事に本を読んで勉強をこなし、懸命に生きてさえいれば、いつかは死んだ両親のように、シンデレラのように愛のある王子様と結ばれ、幸せに暮らせるようになるのだと自分に言い聞かせてきた。けれど、そんな夢物語なような期待は簡単に崩れた。待ち受けていたのは、“好きでもない人のところへ売られるかのごとく嫁ぐ”という絶望の現実だった。手紙によると、エルバートは今年で22歳。自分より4歳年上だという。絶対的権力を持つ軍師長、エルバートが何故、力を持たず、貧乏な生活を送る自分に縁談話を持ちかけてきたのか分からないが、勤めを全うするしかない。どんなに嫌な顔をされようとも。* * *しばらくして馬車は森を抜け、アルカディア皇国近くのエルバートの家、ブラン公爵邸に横づけして止まった。肩上くらいの長さの髪をした御者の青年に手を引かれ、フェリシアは馬車から降りる。自分を迎えに来た際、エルバートの側近のディアム・アーラだと名乗っていたことを思い出しつつ、前を見ると、ブラン公爵邸は大きな洋風の館だった。下級料理番として雇われていたお屋敷よりもはるかに大きく、小さな古びた家で暮らしてきたこともあり圧倒され、場違いすぎて恥ずかしくもなった。間もなくして、屋敷の扉が開き、一つ結びをした壮年の案内役が出てくる。「フェリシア様、お待ちしてお
お互いの顔がはっきりと見えると、エルバートは冷酷な表情を崩さず、口を開く。「晩飯を作れ」「まず今日はビーフシチューだ」「そして」「これからは私の事をご主人さまと呼べ」「かしこまりました」フェリシアは、命令を受け入れ、ただただ一礼をする。エルバートに尽すことを心に強く誓いながら。「では、時間が来るまでゆっくり休め」エルバートにそう冷たく言われたフェリシアは、すぐさま、案内人に部屋へと案内される。そして、初めて見る、自分には勿体ないほどの上等な部屋。一人きりになったフェリシアは持ってきていた両親の割れた形見のブローチをぎゅっと胸に抱き、落胆する。最初から分かっていたことだったけれど。(ここでもわたしは奴隷扱いなのね……)* * *その夜、食事室の椅子に座るエルバートに晩ご飯のビーフチューをお出しする。ブラン公爵邸の台所は、もはや厨房で、雇われていたお屋敷の台所とは比べられないほど広く綺麗で、エルバート以外の料理を任されている自分より2歳年上の、肩までの髪をくくったメイド、リリーシャ・ペルレと共に、このような場で、ビーフシチューを作っていいものかと身が竦(すく)んだ。けれど、白く美しい花は持って来られず、添えることは出来なかったもののなんとか、完成させ、お出ししたが、下級料理番が作ったビーフシチューなど口に合うとはとても思えない。「座れ」「はい、失礼致します」フェリシアは座らせて頂けることに驚きつつも、空のお盆を持ったまま、向かいの椅子に座る。そして、ぴりりと冷ややかな空気が流れる中、エルバートはビーフシチューをスプーンですくい、口にした。――ああ。尽そうと決めたばかりだというのに。(もうご婚約を破棄され、捨てられてしまう!)「――――この味だ」エルバートの言葉にフェリシアは両目を見開く。(この、味?)「あ、の?」「やはりあの屋敷のビーフシチューを作っていたのはお前で合っていたのだな」「え、わたしが雇われていた屋敷に、通われて?」「あぁ、その屋敷では軍の会議が常に行われており、その度に私は料理を食べていた」「そして館には男性の料理人を雇い、女性の料理人も試したが、どれも口に合わず、軍師長の仕事のモチベーションも下がっていたのだが」「お前の料理に興味を持った」「そして、お前が出す全ての料理
「特にビーフシチューは興味を持つキッカケとなった料理で、最近また口にしたばかりだからすぐに同じ味だと分かった」「そう、だったのですね」フェリシアは涙を右手で拭いながら返す。「あぁ。だが、婚約の手紙を届け、お前を花嫁候補にした理由はもう一つある」「え、もう一つ……?」聞き返すと、エルバートは真剣な眼差しを向ける。「調べた結果、お前の両親が魔を祓う力を持つ者だったからだ」「え、そんなはずは」フェリシアが動揺するも、エルバートは話を続ける。「料理の皿にいつも添えていた花が、魔を祓う効果のある花だった」「その花を知っているということは力を持った家系かもしれないと思ったから調べた」「自分の花嫁候補にする者が力があるかどうかは私に取っては大きく、いくら食事が自分にあっていても、力がない者は花嫁候補にはしない」「今までも自分の近くに置く者はすべて力があるか、どのような家系であるかは調べている」フェリシアはそれを聞いて驚く。母に花を添えるといいと教えられていたことをぼんやりと覚えていて、実行していたけれど、まさか、花に魔を祓う効果があっただなんて。それだけではなく、伯母に嘘をつかれていた?伯母なら嘘をついてもおかしくない。「ともかく、毎日、美味い飯を作ってくれ」「はい」命じられたフェリシアがそう短く答えると、エルバートは更に付け加える。「そして、明日の晩はお前もここで食べろ」「はい…………え?」フェリシアは唖然とする。伯母と食事をする時はいつも伯母に罵倒されながら食べ終わるのを見守り、その後は食事を抜きにされるか、一人で食べたりしていた。だから、エルバートのような雲の上のような人が、自分と食べるなどという発想が全くなかったのだ。「いいな?」「は、はい」念を強く押され、フェリシアは肯定するほかなかった。(力のためにと打算的な人柄かと思ったけれど、真実を教えてくれただけで優しい人なのかもしれない)* * *翌日の朝になり、フェリシアは玄関でエルバートをお見送りする。フェリシアが作った朝ご飯、エッグベネディクトを早く済ませて勤めに出ることを寝る前に聞いており、朝はゆっくりできないから晩に一緒に食べることにしたのだと納得した。けれど、今日のエルバートは勲章がたくさん付いた高貴な軍服を着て、髪をなぜか麻紐で一つにくくり
「フェリシア、そしてエルバートよ、顔を上げよ」フェリシア達は跪きながら顔を上げる。(帽子のショートベール越しでは、よくルークス皇帝のお姿が見えないわ…………)「フェリシアよ、顔が良く見えん。帽子を取れ」フェリシアは命じられた通り、帽子を取る。すると、天蓋付きの玉座につくルークス皇帝の姿が鮮明に両目に映った。美しい紫髪に、エルバートが言っていた通り、優しく穏やかな雰囲気で、(まるで、神様のようだわ)「ほう、これは別嬪であるな」フェリシアは唖然とし、エルバートも驚く。(わたしが別嬪!? お世辞かしら…………)「フェリシアよ、会えて嬉しく思うぞ」「どうだ? ここは心地良いだろう?」そう言われて気づいたけれど、確かにとても気分が良く、体も軽くなっているような。「はい、とても心地が良いです」「ここは特別な結界で守られているからな」「そして今日、エルバートにここに連れて来させたのは、お前のことを知りたいと思ったからだ」「よって、フェリシアよ、我の元へ上がってまいれ」「か、かしこまりました」(わたしのようなものが、ほんとうに上がっても良いのかしら…………)フェリシアはそう思いつつもルークス皇帝に命じられた通り、玉座の踏段を上がっていく。するとルークス皇帝が玉座から立ち上がる。「右手の甲を差し出せ」「は、はい」フェリシアは右手の甲を差し出す。「少しの間、触れる」ルークス皇帝はそう言い、フェリシアの右手の甲に触れた。そしてルークス皇帝は納得すると、触れるのを止める。「エルバートよ、そのような顔をするな」(あれ……? ご主人さま、な
宮殿内は豪華絢爛で、もっと圧倒され、すぐさま使用人達の注目の的となった。「あの方がエルバート様の胃袋をお掴みになられたフェリシア様?」「これからエルバート様と共にルークス皇帝とお会いなされるそうよ」「すごいわ。けれど、フェリシア様は今後エルバート様にご婚約を破棄され、エルバート様は正式にアマリリス嬢をお選びなられるとの噂よ」「そうなの? もし噂がほんとうならお気の毒ね」そんなコソコソ話を聞いても、圧倒されているせいか、さほど気にならず、やがて、執務室の前でルークス皇帝の側近が足を止め、フェリシア達も立ち止まった。「こちらが控え室となります」「控え室が執務室だと? 貴賓室の間違えではないか?」エルバートがルークス皇帝の側近に問いかける。「いつもおられる場所が落ち着くと思い、執務室と致しました。ルークス皇帝のご準備が整うまでこちらでしばらくお待ち下さい」ルークス皇帝の側近が執務室の扉を開け、ディアムは廊下で見張る為、フェリシアとエルバートのみ中に入る。するとメイドがワゴンで紅茶とお菓子を持って来て、テーブルに置き、出て行くと扉が閉まった。(ここがいつもご主人さまが執務をなされているお部屋……。書斎よりも広いわ)そう感激していると、エルバートがソファーに座る。「フェリシア、隣に座れ」フェリシアは声をかけられ、ハッとした。(つい、嬉しくて、ご主人さまを置き去りにしてしまっていたわ)「は、はい」フェリシアはエルバートの隣に座る。そして、エルバートと共に紅茶を一口飲む。(あ、美味しい……)少し気持ちが落ち着くと、廊下でディアムが誰かと話している声が聞こえ、扉が開く。優しそうな青年、明るく元気な青年、顔が整った青年が続けて入って来た。するとエルバートは嫌な顔をする。「ディアム、なぜ私に一言もなく開けた?」
「いや、笑うつもりはなかったのだが、お前を見ていたらつい、和んでしまった」「こうやって朝ご飯を共にするのも悪くないな」そう言われ、フェリシアもまた、心が和んだ。このような感じでやがて朝ご飯を終えると、部屋でリリーシャにお化粧、そして髪を整えてもらい、そのままリリーシャと共に大広間へと移り、エルバートが美しい容姿の仕立て屋に頼み、新たに仕立ててもらった高貴なドレスに着替えさせてもらい、更に準備してくれていた耳飾りに花とショートベールが付いた帽子も被せられ、薄らとしか周りが見えなくなった。「フェリシア様、ルークス皇帝の執事のお迎えが参りました」「お開けしても宜しいでしょうか?」ラズールの声が廊下から聞こえ、はい、と許可を出すと、大広間の扉が開き、ラズールに手を添える形で玄関まで行く。すると髪を麻紐で一つにくくり、勲章がたくさん付いた高貴な軍服姿のエルバートが待っていた。この姿はもう何度も目にしているのに、今日のエルバートは帽子のショートベール越しに、これまでで一番美しく、凛々しいように見えた。エルバートはフェリシアに気づき、その姿を見て一瞬驚き、いつもの冷酷な顔にすぐさま戻す。「馬車まで付き添う」「あ、はい、ありがとうございます」お礼を言った後、今度はエルバートに手を添える形でルークス皇帝の執事の馬車まで歩いて行く。すると手が離れ、心細い気持ちになった。けれど、エルバートはそれを察したのか、頭を撫でるように帽子のショートベールの部分に優しくぽんと触れ、瞬く間にフェリシアの心が温かくなった。フェリシアはルークス皇帝の執事により馬車に乗せられ、エルバートはその間にディアムとそれぞれ自分の高貴な馬に乗り、ラズール、リリーシャ、クォーツが集まり、頭を下げた形で見送られ、エルバートとディアムに守られながら、フェリシアを乗せた馬車が御者を務めるルークス皇帝の執事の手に
* * *――夜。フェリシアは書斎にいた。寝る前に大事な話があるとエルバートに言われ、ここまで一緒に来たけれど、(明日のお勤めのことかしら…………)「このソファーに座れ」「は、はい」フェリシアは命じられた通り、2人掛けのソファーの奥に座る。するとエルバートは目の前に置かれたひとり掛けのオシャレなソファーではなく、なぜか自分の隣に座った。「あ、あの、ご主人さま!?」「隣で話す方が話しやすいからな」(ご主人さまはそうかもしれないけれど…………)動くと手が触れてしまう、そんな距離間に、胸がドキドキしない訳もなく、直視出来ない。「それで今から大事な話をするが」「今朝、ルークス皇帝に呼び出された際、お前に一度会いたいとのことで、晩夏の2日前にお前を宮殿の皇帝の間まで連れてくるようにとルークス皇帝より直々に仰せつかった」それを聞いた瞬間、フェリシアは変な声を出す。「えぇ!?」「えぇって……お前、そんなにルークス皇帝とお会いするのが嫌か?」アルカディア皇国とは無縁だった自分が、まさか、ルークス皇帝とお会いすることになるだなんて。しかも、ブラン公爵邸を出ていくことになっている2日前に。「い、いえ、そうではなく……とても驚いたのと、その、大変おこがましいと言いますか……」「ルークス皇帝には皇帝に即位される前から長年仕えているが」「優しく穏やかな雰囲気で、仲間や民を誰よりも大切に思うお人柄なゆえ、そんなに恐縮せずとも大丈夫だ」(ご主人さまの大丈夫はほんとうに心強い)「わ、分かりました」「では、晩夏の2日前までに支度を整える」* * *フェリシアはルークス皇帝にお会いしても恥ずかしくないよう、日々、立ち振る舞いや身だしなみ等に気を付け、当日の早朝。フェリシアはベットの上で固まっていた。どうしよう
すると魔は破壊され、光と共に浄化されると同時に 門の一部が崩れ落ちた。「……ブラン伯爵邸まで届けば良かったものを」「……しかし門はディアムが開け、きっちりと締めたはずなんだが、人一人分開いてるということは魔の仕業か? それともここの者の仕業か?」「……いずれにしてもおかしいことに気付けなかった。それにフェリシアの魔除けは万全だった。にも関わらず何故フェリシアばかり狙われる? やはり秘められた力が関係しているのか?」エルバートが小声で何やら呟くも聞こえなかった。エルバートが追いかけて来なかったら、間違いなく、自分は自分でなくなっていたし、死んでいただろう。「追い付けて良かった。フェリシア、大丈夫か?」エルバートに心配され、フェリシアの両目から大粒の涙が零れ落ちる。どうしてここで涙が出るの?心の痛みも感じるの?魔に襲われそうになり、怖かったのか、正式な花嫁候補に選ばれず、物凄く落胆して傷付いたせいなのか、緊張が切れたせいなのか、ここ2週間、寝不足だからなのか、もうよく分からないけれど、涙が溢れて止まらない。一ヵ月後、出て行く身なのに、こんなの困らせるだけなのに。エルバートは切なげな顔をし、何も言わずにフェリシアをただ抱き締めた。その後、ディアムとエルバートの母の執事も駆け付け、ディアムに心配されると、現れた魔を浄化した際に門の一部が崩れ落ちたことをエルバートが伝え、エルバートの母の執事は自身が修復すると笑顔で言いつつも目が笑っていなかった。そして早く帰った方が良いと、ディアムに馬車に乗せられたのは良いものの、フェリシアはエルバートに命じられ、隣に座らされた。エルバートは肩をそっと抱き寄せる。「あ、あの!?」「また魔に襲われるかもしれないからな
「正式な エルバートの 花嫁候補は、アマリリス嬢とする」エルバートの 父のその言葉を聞き、頭が真っ白になった。エルバートは冷酷な表情のまま黙ってエルバートの父をただ見つめる。「フェリシアさん、貴女には最初から最後まで驚かされた」「特に料理のビーフシチューは素晴らしかった」「だが、アマリリス嬢のビーフシチューの方が優れていると判断した」「しかしながら、努力を配慮し」「フェリシアさんには一ヶ月間、ブラン公爵邸にいる事を許す。だが、その後、ブラン公爵邸から出て行って頂くこととする」一ヶ月後は晩夏。つまり一番暑い時期に出て行けと言う。死んでもかまわないといわれたようなもの。エルバートと一ヵ月間一緒にいられるのは嬉しいけれど、(これでは すぐに出て行けと命じられた方が余程マシだわ)「父上! これはやはりフェリシアを追い出す為の口実を作る茶番であったか!」エルバートは叫び、冷ややかな物凄く強い気を放つ。しかし、エルバートの父はその気を無視して話を続ける。「異論は一切認めん」「一ヵ月後にブラン公爵邸にはアマリリス嬢に住んで頂く」その言葉を聞いたエルバートは剣に手を掛ける。いけない。魔もいないこのような場で剣を抜かせてはだめ!「分かりました」「一ヶ月後、ブラン公爵邸から出て行きます」エルバートは驚いて剣から手を放す。「フェリシア、何を」エルバートと初めて出会った日、尽くそうと、勤めを全うするしかない、どんなに嫌な顔をされようともと心を決めていたのに。「ご主人さま、力及ばず、申し訳ありません」フェリシアはそう言って頭を深く下げる。すると近くの教会の鐘の音が聞こえた。フェリシアは頭を上げ、一人、広間から駆け出て行く。悲しいはずなのに涙も出ず、心の痛みも感じない。自分
フェリシアはアマリリスを見つめる。「はい、わたしもエルバート様が好きです」そう、告白すると、アマリリスは優しく微笑む。「ならば、お互い負けられませんわね」「フェリシア様、お料理にそれぞれ全力を尽くしましょう」「はい」その後、しばらくして、フェリシアとアマリリスのビーフシチューが出来上がると、皿にそれぞれ少し盛り、お互いにスプーンで味見をし、台所まで来たディアムとエルバートの父の側近にはきちんと盛り付けをして、フェリシア達のビーフシチューをスプーンで食べて完食してもらい、エルバート達が食べる6皿の毒味もしてもらう。すると全皿問題ないと判断され、広間までディアムがフェリシアのビーフシチュー、エルバートの父の側近がアマリリスのビーフシチューを責任を持ってお盆で運び、エルバート、エルバートの母、エルバートの父のテーブル席にエルバートの父の側近がアマリリスのビーフシチューを一皿ずつお出ししていき、その後に続いてディアムがフェリシアのビーフシチューを同じようにお出しして、エルバート達のテーブルにそれぞれ2皿ずつ並ぶ形となった。「では私から」エルバートはそう言い、スプーンを持つ。そんなエルバートの姿を心臓をドキドキさせながら、アマリリスと一緒に見守る。エルバートはアマリリスのビーフシチューからスプーンで食べ、完食するとスプーンを自身に対し平行にして置き、普段と変わらない冷酷な表情で頷いた。隣のアマリリスをふと見ると、両目に涙を薄らと浮かべている。エルバートに初めて自分の料理を食べて貰え、更に完食して貰えたことが余程嬉しかったのだろう。アマリリスのビーフシューを先程味見したけれど、とても高貴な味で美味しかった。だからエルバートも頷くくらい美味しかったに違いない。そう思っていると、エルバートと一瞬目が合った。それを合図にエルバートはフェリシアのビーフシチューを新たなスプ
フェリシアは左側から席に着き、ナプキンは2つに折り、輪を手前にして膝にかけて待つ。するとやがてエルバートの母の執事による豪華な肉料理のフルコースが始まり、白ワイン入りグラスは親指から中指の3本で持ち、薬指で固定して飲み、バラの花びらのような生ハムトマトの前菜はナイフとフォークを外側から使い、美しさを楽しむよう、いっぺんに崩さないように左側から少しずつ食べ、クリームスープはスプーンを手前から奥へ動かしてすくい、パンは手で一口大にちぎり、そのパンに少しずつバターをのせて食べ、肉料理である牛フィレのパイ包み焼きは左側の端から食べやすい大きさに切りながら頂き、デザートの華やかなケーキは固かった為、ナイフで切り、食事が終わると、ナイフとフォークを揃え、皿の右下へ置き、ナプキンはテーブルの右側へ無造作に置いて、左側から退席した。こうして、食事マナーも無事に終え、最後の料理作りとなり、フェリシアはアマリリス嬢と共に広間から台所へとエルバートの母の執事に案内され、それぞれビーフシチューを作り始める。ブラン伯爵邸の台所もまた厨房のように広かった。食事マナーを終えた時、エルバートとディアムは見守ってくれていたけれど、エルバートの両親、アマリリス嬢はまたどこか驚いた様子だった。きっと上手く出来ておらず、呆れていたのだろう。そして最後の料理作りは毒や不正が働くのを考慮し、先にディアムとエルバートの父の側近、続いてエルバートとエルバートの母が順に食べ、最後にエルバートの父が食べることになった。だから、(料理を教えてくれたリリーシャさん、そして何よりこのビーフシチューの料理を認めてくれたご主人さまに決して恥をかかせる訳にはいかないわ)そう思っていると、アマリリス嬢が話しかけてきた。「フェリシア様はやはりお料理手慣れていらっしゃるわね」「え?」話しかけられると思っていなかった為、フェリシアは驚く。
――そして、まずはエルバートとアマリリス嬢が踊ることとなり、不安げなフェリシアの袖を掴む手に触れ、見えないように優しく下ろすと、エルバートはアマリリス嬢の元に向かう。すると、エルバートの父が広間に軍楽隊を呼び、その弦楽器の美しく優雅な演奏と共にふたりは踊り始める。エルバートの踊る姿を初めて見たけれど、惚けてしまうくらい美しく、かっこいい。それにアマリリス嬢も引けを取らず、エルバートと息がぴったりと合っている。(雲の上のようなおふたり。ほんとうに絵になるわ…………)やがて、アマリリス嬢とエルバートが踊り終え、フェリシアはエルバートの元まで歩いていき、向き合った状態で足を止める。けれど、緊張で足がすくんでしまう。(せっかくクォーツさんにダンスの特訓をしてもらったのに。こんな足でちゃんと踊れるかしら…………)そう、足に目線を向けながら不安に陥った時だった。「……フェリシア、こちらを見ろ」エルバートに小声で話しかけられ、顔を見る。それだけで不安が一瞬にして消えた。「……私がリードする。だから安心して身を任せろ」「……はい」同じように小声で返すと、エルバートが手を差し出す。フェリシアはその手に自分の手を添えた。それを合図にアマリリス嬢の時と同じ軍楽隊による弦楽器の優雅な演奏が始まり、共に踊り始める。そうして少し慣れた頃、エルバートの手が腰に触れ、顔がぐっと近づく。お互いに見つめ合うと、離れ、踊り続ける。ほんの一瞬顔が近づいただけなのに、顔が熱い。(リードするってご主人さまおっしゃっていたけれど、こんなの身が持ちません)そう思いながらも、不思議と嬉しさの方が勝る。